
一歳を過ぎたころは食物を見ると、「マンマ、マンマ」と言っていたので、何も気にかけずにいました。そんな喜びも束の間、ある日、仁の遊んでいるときに不思議な光景に気付きました。目の前の絵本に見入りながら、笑っている顔には笑い、怒っている顔には怒った仕草をするのです。後ろから、「ヒトシ、ヒトシ」と呼んでも振り向かないし、鈴を鳴らしても振り向いてくれません。
「これは大変、仁は耳が聞こえないのでは」。すぐ耳鼻科で診察を受けましたがお医者さんは、「まだ小さいし、うるさいのでよく診察できない。もう少し大きくなってから診察しましょう」と言われました。二歳過ぎになって、秋田中央病院へ診察を受けに行きました。親戚、家族全員揃って行きました。なんと、「後天性による両側神経性難聴で両耳とも九十デシベル位ですよ」と聞かされました。目の前が真っ暗になり体がガタガタ展えました。
病院の先生は、「市内にろう学校があるから、一日も早く教育を受けなさい」と、言われました。私は市内のどこにろう学校があるのか知りません。家族と相談しようやく子供を連れてろう学校へ行きました。「なぜ早くこなかった」と先生に叱られたことを思い出します。職場も辞め、教育相談と小学三年まで、仁とともに勉強をしました。
幼稚部で最初に勉強したのは「立って」「座って」からでした。家に帰ってさっそく椅子を作り、何度も何度も復習しました。学校を一日でも休むと、勉強に追いつくのに大変でしたので、休まずに家族一丸となって頑張りました。
それでも子供が風邪で休んだときは、友たちのお母さんのノートを借りたり、貸したりして
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